法律相談に行ってきた。
理知的ではっきり法律的なことを教えてくれるけど、でも同時に優しい雰囲気もあって、「こんな文書でやりとりしようとする時点で、もうどうなんだと思いますよね。話し合いたいですよね」と同情的に言ってくれたりして、素敵な女性弁護士さんだった。
やっぱりプロに相談できると安心感が違うし
親世代なんかに相談すると、まず私が直せとか、私の悪い部分をクローズアップされるから相談できても苦痛な部分があったけど、そういうことは言わずに、この夫の考え方や言い分は古すぎるというかおかしい、DVだという人もいると思う、とか話してくれたし
わたしも全て悪くないとは思ってなくて、自分のダメなところとか、反省するところはたくさんあるけど
もう、それは今後に活かすしかなくて
それは一旦置いておいて、今は離婚、その後の自立がゴール。
とっても頼りになるなと思った。
あぁわたしもこんな風に与える側の人間、人を救える側の人間になりたいなぁって思った。
それって与える側、与えられる側って人によって決まってるわけじゃなくて、自分のプロの領域だったり、与えられることについては与える側で、他の領域では与えられる側にもなるんだけどね。
でもなんか、やっぱ与える側のオーラがある人、そうじゃない人ってある気もする。
年齢とか立場とかも大きいのだろうけど。
わたしはやっぱりまだまだ与えられる側ばっかり、与えてくれる大人や友達にとてつもなく支えられてる。
相談に乗ってくれる大人、おせっかい気味に心配してくれるボイトレの先生や、仲間、話聞いてくれる先輩、友達、親兄弟
与えられる人になりたい
それが幸せへの道な気がするからってのもある。
仕事でプロになること、それは一番確実な道かも。
あとは仕事でなくても、つねに与えられるものはケチらずに与えていきたいな。
素敵な大人って、そうな気がする。
それでそういう人は、与えてることに優越感だとかはなくて、自分がそのほうが楽しいからやるとか、自分ができるからやるとか、さっぱりと仕事だからやるとか、誰かが困ってるからやるとか、そんななんだよね。そんな人がいいなと思う。返して欲しいからやるんじゃなくて。
法律相談いったあとに、ミストで食べるポンデリングも美味しくて
あーこういうのも人を救ってくれるよなぁって思った。